私たちは、毎日の暮らしの中で、無数の命とすれ違いながら生きています。
道端の虫、小さな草花、鳥のさえずり、そして目の前の家族や友人。
「不殺生(ふせっしょう)」という言葉には、そうしたすべての命を思いやる心が込められています。
それは仏教の教えのひとつで、「故意に命を奪わない」という意味を持ちますが、単なる禁止事項ではありません。
むしろ、それは自分の心のあり方を問う、大切な生き方の指針なのです。
すべての命は“同じ重さ”ではないかもしれない──けれど“同じ価値”はある
私たちは時に、「人間の命は尊い」と教えられ、「小さな虫の命や草の命は取るに足らない」と思い込んでしまいがちです。
でも、たとえ小さくても、その命は自分と同じように一度きりの時間を生きている。
私たちの意識の外にあるだけで、彼らも生き、感じ、世界を受け取っています。
たとえば、公園で見かけるアリ一匹。
何気なく踏みつけてしまうこともあるかもしれません。
けれど、そのアリにも家族があり、役割があり、目的がある。
私たちが「ちょっと気をつけて歩く」ことができたら、
それは小さな命を守るだけでなく、自分自身の“心の感度”を高める行為にもつながっていくのです。
命を思いやる心は、自分を大切にすることにもつながる
不殺生は、単なる道徳ではありません。
命あるものを丁寧に扱う生き方は、まわりまわって自分の心と体にも優しさを返してくれます。
些細なことにイライラしにくくなったり、怒りが少しやわらいだり、
「まあ、いいか」と思える余裕が生まれたり。
それは、他人を変えることではなく、自分の心の中に余白をつくることでもあります。
その余白が、やがて他人への思いやりとなり、日々の人間関係にも好循環をもたらしてくれるのです。
今できる、小さな「不殺生」
・虫を見かけたら、できるだけ外へ逃がしてあげる
・雑草も一瞬、「生きてるな」と思ってから抜いてみる
・ペットボトルを片付けるときに、「自然を汚さないようにしよう」と意識する
・子どもに「命を大切にすること」を話す時間を持つ
どれも、大げさなことではありません。
“ちょっと立ち止まって感じる”ことの積み重ねです。
そして、その積み重ねが、自分の人生をより豊かに、温かく、やさしいものへと変えていくのです。
命を大切にすることは、生きる意味を思い出すこと
「小さくても、私たちと同じ大切な命です」
この言葉は、ただのスローガンではありません。
今を生きる私たちが、日々の忙しさや焦りの中で忘れてしまいがちな**“命の価値”を思い出させてくれる、静かなメッセージ”**です。
私たちは、目の前にある命を大切にすることで、
自分の命の重みも、そっと思い出すことができるのではないでしょうか。
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